キムさんについて

三河島

日暮里に住んでいたことがある。初めての東京での一人暮らし。六畳一間風呂なし、当時で築30年ぐらいだったかなあ。外観はとても古臭かったけど中を見ると清潔な感じがして、曲がった通りに面した角部屋で台所スペースがいびつだけど結構広くて、そこまで狭いという感じはしなかった。山手線を一つ外れれば安いとこあるかな、というだけの考えで三河島というところにたどり着いた。家賃4万円の風呂なしアパート。

周辺には在日朝鮮人が多く住んでいて、街中で朝鮮語が飛び交うということも多かった。韓国物産という小売店があって、僕はよくそこに行った。最初は違和感のあったキムチのにおいや「ありがとうごじゃいました~」にも慣れ、いつしか僕にとって日常となった。お金がなかったから焼肉とかバカ高い中華料理屋には行けなかったけど。

近所のコンビニでバイトを始めて、大学生のキムさんという人と知り合いになった。彼は片言の日本語で「○○~、遊ぼうよ~」「○○~、今度遊び行ってもいい~?」と僕に言う。僕にとっては東京も初めてなら2024年現在のようにコリアン文化が世界を席巻しているような時代でもなかったわけで、知り合って間もない在日朝鮮人のキムさんに警戒心を抱くのは無理もなかったと思う。簡単に言うとなんかよくわからないけどガンガン来るキムさんにビビっていたわけです。

「いや、その日はちと忙しくて…」とかなんとか言いながらはぐらかそうとする僕に対し、キムさんは都合の悪いことは、「お~、何~?何言ってるかわからない~」って感じで結局僕のアパートに来た。二人で何を話したかもうすっかり忘れてしまったけど、彼がずっとしゃべってた気がする。そしてずっと笑っていた。そこで彼は「○○~(いつも呼び捨て)、今度車乗せてあげるよ~」と一方的に約束を交わし、後日、本当に車で僕のアパートに来た。夜に。黒いベンツで。

僕はいよいよやばいと思った。何も考えてなかった僕だが、20代前後の大学生が、およそこの東京の下町に似つかわしくない黒いベンツを、自分で運転して登場することのヤバさは理解していたつもり。「なんでこの人はこの東京で、学生という身分で車に、しかもベンツに乗れるんだろう」いろいろな疑問が頭を駆け巡る間もなく、僕はアパートの前の狭い通りを塞いでいることが気になって足早にその車に乗った。

どこに行って何をしたか、全然覚えてない。彼の部屋に行った気もするし、日暮里駅前に行った気もする。けどヤバい事務所に連れていかれたとか、そういう危険なことはもちろん一切なかった。途中からきっと運転歴も浅いであろう彼の運転そのものが心配になっていたぐらいのもんだと思う。そんな感じで僕たち二人は夜の街をドライブした。

ほどなくして僕はバイトを変え、キムさんとも連絡を取らなくなった。今思えば単にお金持ちでオープンマインドの、とても育ちのいいひとだったんじゃないかと思う。いつもきれいな襟付きのシャツを着てたし、僕のように下品な言葉は使わなかったし。豚足を始めて食べさせてくれたのもキムさんだった。

彼は今きっと成功してるだろう。「○○~、それおもしろいね~」とか言いながら。そんな気がする。


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