Tさん

自由意志

ある運送屋に勤めていた時。

そこは生協のルート配送の下請けかなんかをやってる会社で、コンビニの居抜き物件をそのまま事務所にしていた。事務所は暗かった。

「へー、君○○にいたの?なら大丈夫だ。よろしく」

あっさりと採用された。僕は妻と結婚したばかりで、とにかく何でもいいから仕事をして収入を途切れさせないようにしなければならなかったので、すぐに決まったことはありがたかった。

朝早く指定された倉庫があるところにいくと、冷蔵トラックがたくさん並んでいた。そこに瓶牛乳と保冷剤を載せて配達するのが仕事だった。

倉庫から30~40分くらい走って、朝の静かな住宅地につくと、一軒一軒牛乳と保冷剤を配って回り、空き瓶を回収した。難しい仕事ではなかった。帰りの渋滞には参ったけど。

そこにはTさんという先輩がいた。細身で少しやせこけた頬と黒目がちの小さな目が印象的だった。黒いバモスのキャリアにはいつもサーフボードをのせていた。

「サーフィンやってるんだ。おもしろいよー」

マイペースに配達をしながら話したり、時々コーヒーをおごってくれたりした。えばったり不機嫌だったり自慢話をしたり、そういうところが一切ない穏やかな人だった。

Tさんを中心に職場はいい人間関係が保たれているようだった。給料は決して高いとは言えず、仕事も単調だったけど、僕はそこでしばらく頑張ろうと思っていた。

けれど、夫婦の勝手な、割と込み入った事情から、僕はそこを急にやめなければいけなくなった。今思えばもっと別の、周りに迷惑をかけないやり方があったかもしれないけど、若い僕たちはとても混乱していた。それしかない、と思い込んでいた。

もちろん僕はとても言い出しにくかった。すぐに仕事を覚えた僕をみんな信頼してくれていたし、何よりTさんを裏切るような気がして申し訳なく思っていた。

「しょうがないよ。奥さん大事だもんな」

Tさんのその言葉が、異常にやさしく感じて、僕は情けないことに泣いてしまった。

それ以前の仕事では、妻の病院に付き添いたいと希望の休みを言えば(妻は喘息がひどかった)

「お前、甘いよそれは」とか、

「ふざけんな。会社の決めた休みがおめーの休みなんだよ!」

などと言われた。

また、会社の飲み会や旅行(女の子のいるところに行って遊ぶ)に「行きたくないです」と言えば、

「それも仕事なんだよ!」

「嫁の教育しろや!」

などと言われていた。上司や業務そのものがきついのは何とかなるし、給料の良さで納得できた。けど、みんなでキャバクラとか風俗とか行くのも仕事という意味が全然分からなかったし、それを強制されるのが嫌でたまらなかった。それは自由意志でいいでしょ、と。なんだ?嫁の教育って?バカじゃねーの?

そこで学んだ”働く”ということは、自分を捨て、大事な人を忘れ、会社に忠誠を尽くすということだった。暗くなり、足立区の住宅街を走り回ってる時、他人の家の夕食のにおいとかがしてくるとたまらない気持ちがしたもんだった。自分だけ異世界にいるような、自分にはそんな日常は許されないという感覚。

仕事で時間と体を拘束されるのは仕方がない。むしろできる限りのことをやろうと思う。けど自分の心や思想を縛り付けられるのは絶対に嫌だった。

Tさんの言葉はそんな若い僕の硬直した心を解いてくれたんだと思います。ああ、自分(達)のこと言ってもいいんだと。

僕は現在2台目の黒いバモスに乗り継いでいる。バモスは生産終了となってるし、そろそろ入れ替え時期も近づいている。

どうしようかなあ・・・。


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