ダニー坊や

自分の命があと一日だったら、と考えてみる。

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ある朝目覚めたときに彼は唐突に悟る。「あ、俺、今日で死ぬんだな」

彼はそう悟り、それが真実であると思う。

目覚まし時計は4:17を指している。5:00にセットされているアラームを切って体を起こす。

隣のベッドでは妻がまだ寝ている。

彼はそっと階段を降り、玄関からポーチに出る。音もない雨が降っている。とりあえずタバコを吸う。

「さて・・・」

不思議なもんだ。悲しくもなければ怖くもない。焦燥も怒りもない。もうずいぶん前からいつかそういう日が来ることを覚悟していた。

あきらめ、それが一番近いか。思えばあきらめを繰り返す毎日だった。

小学生のころ、僕は足が速いほうだった。けど一番になるやつは圧倒的に速くて、そいつに勝とうなんて一度も思わなかった。学年でいつも3~4番目ぐらいのポジションであることを素直に納得していた。
冬にはマラソン大会があった。農道をぐるっと1.5㎞ぐらいのコースだったかな。練習でいつも2位を走っていた。本番、失速、18位。僕は泣いた。「寒かったんだよ!」と言い訳した。

中学になると短距離も抜かれ始めた。部活は強制だったからスポーツは毎日やった。つまり今まで以上に走りこんだはずだった。それでも、いつの間にか足の速さでは勝てなくなっていた。田舎の学校だったし陸上部なんてなくて、県の陸上大会には各部活からの選抜メンバーで出場することになっていた。僕は400メートルに選ばれた。

400メートルってほんとにきつい種目だと思った。90%ぐらいの力で走り続け、最後の100メートルぐらいで100%以上の力を出さなければならない。足がばらばらになってしまうんじゃないかというあの感覚。
緊張しながら臨んだ本番、結果は予選敗退、8人中8位。誰かが「それはまずいよ」と言った。
中学ぐらいだとよくある。学校として大会に出ないといけないから、陸上部はないけど強制的に選ばれて出されるやつ。圧倒的にケツのほうをほとんど止まりそうなスピードで走っているやつ。そういうのを見て安心していた自分がそうなったわけだ。

悔しい気持ちがあったのはこのころくらいまでだったかな。

悔しい?そんなに努力してたか?

高校に入るとスポーツ推薦の化け物たちがたくさんいて、戦う気持ちも起らなかった。彼らの筋肉を触って、「おーすげー!」とか言ってたもんだ。変なプライドはなくなり、自分のポジションを探し始めたわけだ。
僕はバンドを始めた。歌うことが好きだと気づいた。けど、中途半端なやり方だった。周りにキラキラしたバンドがいくつもあって、それよりもいいバンドを作る、とかにはなれなかった。
好きなはずなのに周りの反応を見てやらなくていい理由を探していた。そういうことだ。

仕事に行って、帰ってきて、食って寝る。

好きな女の子に告白することをあきらめ、好きなバイクが維持できず手放し、友達と離れ、故郷を離れ、東京を離れ、服を選ぶことをあきらめ、自分なりの音楽を作ることをあきらめた。その時自分が大事だと思っていたものを次々手放していく。それなりにつらいこともあった。

今僕はつまらないわけじゃない。なるようにしてなっている、と納得できるからだ。恥ずかしいことを積み重ねてきたし、取り返しはつかない。けど後悔はない。その時はそれがいつも精一杯の選択だったし、少なくとも、自分の意志をつなげてここまで来ていると感じている。僕は一度でも自分を見失わなかった(周りが見えずに人を不快にしたり傷つけたりはしたけど。どうもすいませんでした。それもまた、恥ずかしい思いです)。

仕事に行って、帰ってきて、食って寝る。

僕は僕の人生を生きてきた。熱を持っては冷めるを繰り返しその波がどんどん小さくなっていく。誰もいない部屋で僕は一人そのスイッチを押したり切ったりしている。その真実の塊が僕の中にちゃんとあって、僕はそれが離れないようしっかりと両腕で抱えている。

僕は妻と一緒にいる。今日僕は死ぬ。仕事は休もう。

妻よ、早く起きてきてくれないか。


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