帰省した娘と父の会話。
「ははは、でもお前それさあ・・・」
「…嫌なんだけど・・・。」
はっ、そうか、ここもか・・・
僕は決して女性を見下してなんかいない。・・・つもりである。
世間の女性の地位向上の流れも何年も前からずっと感じているし、地位も給料も対等になればいいと思っている。歴史を少しでも知れば、女性がどれだけその人権を侵され、虐げられ、軽く扱われてきたかよくわかる。
そう、男たちは反省しなければならない。
僕は基本的に女性が苦手である。
子供のころ、学校で呼び捨て禁止、さん付けしなさい、という教育を受けた。皆様の学校ではどうだっただろうか。なんかあれが僕と女子の関係をよりぎこちなくさせたという気がしてるんだけど、とにかく女子とはうまくかかわれなかった。
僕は「○○さん」と呼ぶのも「おい、○○!」と呼ぶのも気恥ずかしかった。
フェミニズムという言葉を知った。黒夢のアルバムタイトルだった。意味を調べ「ふーん」と思った。美しい清春君がアルバムジャケットだった。僕は「清春君みたいになりたいな」と思い、まぶたにノリみたいのをつけて二重にしてみたり(すぐ崩れて片方だけになったりした)、休日は洗えば落ちるカラームースを頭につけて(赤にしたかったけどくすんだ赤茶)農道を自転車で駅まで走ったもんだ。コピーバンドで歌ったりもした。けど、どうあがいても僕は清春君のようにはなれなかった。
高校まで何人も好きになった女の子はいたが、一度も付き合ったりできなかったし、友達として仲良くなったりもできなかった。僕の存在は彼女たちにとって無だった。
距離の縮め方がいつもわからなかった。声もかけられなければ、向こうから近づいてくるケースも皆無だった。
要するにモテなかった、ということだ。周囲はポツポツと彼氏彼女の関係性を築き始める。二人は親密な雰囲気を発し、二人とも大人の色気をまとい始める。俺の、私の彼氏彼女という関係を、周囲に認めさせる。
僕はというと、いつもあいも変わらず十代の、解消されない欲求を抱え見悶えしながらも平静を装い、もっぱら友人とどれだけ面白いことができるか競い合い、遊ぶだけだった。
なぜモテなかったか、今はわかる。見た目も含め、いろいろな要因があるが、一番は僕が誰よりも自分のことしか考えてない人間だったからだ。そう、僕は彼や彼女たちのことを知ろうとしなかったし、実際、何にも知らなかったのである。僕は女性に限らず周囲とペラペラな関係しか築けなかったのである。
そんな僕も、いつしか妻と出会い、女性とお付き合いすることになった。
妻は生きることに真剣だった。どんなときも、(本当にどんな時もなんだけど)自分の気持ちをできる限り正確に表現しようとする人であった。それは今も変わらない。
僕のほうはというと、共感性の欠如という致命的なところがいまだに治らないでいる。でも、基本的に僕は失敗しながらも学んだつもりである。僕は妻を知りたかった。
モノを選び、大切にする。人を選び、大切にする。どうでもいい関係はすぐに切る。食器の効率的な洗い方。蛍光剤入りの洗剤で、きなりの服を洗わない。出かけるのには時間を要す。解決は求めない、ただ、話を聞け。商業用ポップソングと小沢健二は違う。生理痛には個人差があって、毎月死ぬ思いの人もいる。好きな男以外はみんな気持ち悪い。
なるほど。
「こいつ自分のことしか考えてない、キモッ!」
『「お前」って・・・キモッ!』
世界中の女性から気持ち悪いと思われても、妻だけが気持ち悪くないと言ってくれればそれでいい。しかし、世界中の女性が気持ち悪いと思う男なので、妻も気持ち悪いと思う可能性のほうが高いかもしれない。
なので娘も気持ち悪いと思う可能性が高いかもしれない。
真剣に自分の気持ちに向き合い、自分の価値観に従うことに迷いはない。
女性は常に守られ、自律し、主体的に生きるべきだ。
・・・それはもちろん、娘もだ。
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お前って言っちゃいけない・・・。
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